記事2「父さんの言葉、母さんの影 ── 両親とジンペイの信仰」

ジンペイの行動原理を辿ると、いつも同じ場所に行き着く。

父・陣人の言葉だ。「強いものは弱いものを守るもの」「お前の母さんは強かった、誰かを助けるために迷わず命をかけられる人だった」。ジンペイはこれをほぼそのまま自分の信条として引き継いでいる。ライムに「古臭いこと言ってる」と指摘されたとき、「それ、実はさ、父さんの言葉なんだ」と答えている。

問題は、この言葉が渡された状況だ。

入院中の父親の横で泣いている5歳のジンペイに、陣人はレスキュー隊員として危険な仕事を続ける理由を語って聞かせた。母親のように強い人を目指しているから、と。そして「強い人になれたら、母さんが幽霊になって会いにきてくれるかもしれないぞ」と付け加えた。

陣人に悪意はない。むしろ息子を励まそうとした言葉だったはずだ。でも受け取ったのは5歳の子どもで、顔も知らない母親への憧れと、怪我をしながらも使命を続ける父親への尊敬と、その父親と過ごせる時間の少なさが、全部その言葉に圧縮されて刻まれた。

ジンペイがこの生き方を「正しい」として内面化するのには、もうひとつ理由がある可能性がある。

コマくんと出会う以前、ジンペイに友達がいたことを示す描写がない。小学校時代の回想で確認できるのは、一人でサッカーの練習をしている姿だけだ。その孤独を「寂しい」として処理してしまうと、何かが崩れる。だから「これが正しい生き方だ」にする必要があった。父親の生き様を神格化することで、孤独の理由ごと肯定できる構造になっている。

他人に理解されない前提で生きること、それを苦とは思っていないこと。ジンペイのその態度は、強がりではなくむしろ、そうしないと成り立たない何かを守るための姿勢に見える。

小説版には「お年寄りや弱いものにはとても優しい。その優しさのおかげで、こんな立派な学校に入れたのだと、本人は思っている」という記述がある。他人を助けることは、ジンペイにとって衝動ではなく意識的な実践だ。父親の言葉を実行し続けることが、そのままジンペイの自己肯定の根拠になっている。

ただしそれは、自分自身への評価とは切り離されている。「優しくした自分」は肯定できても、「ジンペイ個人」が他人に好かれることは想定に入っていない。あくまで実行役として動いているだけ、という認識に近いのかもしれない。

陣人が渡したのは夢だったはずだ。でもそれはいつの間にか、ジンペイが自分自身を縛るための縄になっていた。本人はそれを縄とは思っていない。それがただの「自分の生き方」だと信じているから。